魔法戦隊マギレンジャー!

鹿目まどかは、ちょっとばかり変身願望が強い、魔法少女おたくの女の子。

 

例えば、魔法少女のロールモデルを巡る侃々諤々は、その文脈に関わらず、世界観の裾野たる「魔法少女」のロジカルを追認する結果となります。少女達は何某を願い、代償として魔法少女に成り代わり、そして絶望の果てに魔女と化す。人間性の諸要素を剥奪された上で、負の精神を代表するアレゴリーとして再生産される儚い存在なのですが、それは《個々人の事情に由来するもの》という旨が強調されている。

 

ここで彼女を引き合いに。美樹さやかは、上条恭介への懸想に終始していました。好きな男の子の腕を治す。ただそれだけのことに、世界はひどく残酷であることを確認させる。彼女が心の片隅で、幸せに満ちた未来の青写真を描いていたであろうことは断るまでもなく、それを完膚なきまでに打ち砕くのが上条恭介と、志筑仁美です。美樹さやかの献身は彼らに知れ渡ることなく、それでも、世界は相も変わらず廻り続ける。人ならざる人の魔法少女に変身し、魔女と戦い続ける渦中に身を委ねた彼女の輝きは一瞬で燻り、その事実すら人知れず霧散する。何事も無かったように、二人は睦言を呟く。そこに美樹さやかの介在する余地はなく、彼女の世界は、あるいは彼女が守り続けようと誓った"世界"は、彼女が最も愛していたであろう隣人達によって閉塞させられる。

 

『誰かの幸せを願った分、他の誰かを呪わずにはいられない』

『あたしって、ほんとバカ』

 

話を戻しましょう。年端も行かない少女達には似ても似つかない絶望や闘争、循環構造を要請するのは、言うに及ばず「契約」です。つまり、ここに陥穽がある。魔女を産み出す因果律は、異世界の住人インキュベーターによって齎された歴史の徒花。このスキームで決定される自由意志の働きは、あくまで「魔法少女」ありきのもの。だからこそ、希望と絶望が不可分の構図は失効することがない。人間の有史時代は、依然として少女達の闘争と循環構造に彩られたコールドケースのまま。また「奇跡」に至る唯一のコードとして「契約」は少女達の精神に巣食っている。

 

「奇跡」という刷新/革新を期待する程に、世界はどうしようもなく退廃に描かれ、隣人すら牙を向くかも分からぬ闇に憶える。それらは少女達の"瞳"の輝きとのコントラストを映えさせ、無辜の精神(という仮想)を抉り出し、観客へ晒し上げる。極めて正当性のあるものだ、と訴える。その裏方に潜む「契約」の影を退けながら。

 

『今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない』

 

そして、少女達の願う「希望」の称揚が、鹿目まどかのヒロイズム。希望が絶望で潰えることなく、全ての因果を背負う、さながら女神の様相です。しかし、そのポーズに隠れる欺瞞はヒロイズムと程遠い場所にあるのは確かでしょう。先述、そもそも少女達に絶望を要請するのは他ならぬ「契約」であり、そのインセンティブに由来する契機の誘引に原因を求められる。絶望を取り除くのであれば「契約」、そしてその俎上にある「魔法少女」こそ取り除かねばならぬ宿痾。希望を願うのに、魔法少女となる必要に迫られない世界。だが彼女はその選択を取らなかった。

 

「魔法少女」というスキームを残存させ、それに立脚する法則(円環の理)で世界を編み込み、尤もらしい改変のポーズで、どうしようもない世界をただ再生産する不実。因果律への背理というポーズで、自他含めた全ての魔法少女の矜持の慰撫に終始する不実。そこには鹿目まどかの退屈、及び周囲に対する関心の喪失が窺え、彼女のヒロイズムが幼稚な変身願望に回収される所以です。彼女にとって、世界とは取るに足りない、しかし自らを輝かせる舞台/ステージに過ぎなかった。連綿と続く魔法少女の闘争に併せて、鹿目まどかによる救済がクローズアップされる。改変後の世界に於いても、"魔獣"という魔女の代替が登場し、魔法少女のヒロイズムは更に強化される。彼女は魔法少女の戦い続ける構図が色褪せることを許さなかった。彼女が守りたかった世界は、魔法少女が有意に戦える世界だった。

 

一つとして、何千何万もの平行世界を跨いだループ。魔法少女の闘争を、その輝きをなかったことにしたくないという欺瞞が"慈愛"として作品を包含する。「奇跡」や「希望」は魔法少女のみぞ対象に取る規範に成り代わり、物語は連続性の中に囚われたまま。それでもこれが、鹿目まどかの望んだ世界。

 

 

 

 

 

 

 

はいブログ立ち上げてみました。あれば色々と便利じゃないか的な着想。一発目のエントリが汚い修辞でゴリ押しのまどマギ論(TV版)なのはご愛嬌ってことで。ていうか以前Twitterに投下したものの改稿なんですけどね。こんだけdisりまくった手前ですが、いやまどマギ好きな方ですよ私?