WUGの見据えるアイドル像


TVアニメ 「ウェイクアップガールズ - Wake up, Girls!」PV [HD] - YouTube

 

 

取り出しましたるは『Wake Up, Girls!』。本放送の第1話が今期でもなかんずく好感触だったので、その足で劇場版も鑑賞して参りました。4連休万歳

 

 

アイドルが産業だなんて、そんな安いメッセージ性を改めて引接するまでもなく、WUGの画面からは再三に渡って、その構成要素たるマテリアルは、「金」と「性」という分類が主張的ですね。有り体に言ってしまえば、個人の領域よりも、その周辺事情によって語られる部分に活動(あるいはアイドルという実存)が左右される世界観を帯びている。かと言ってドキュメンタリーを指向したリアリズムという訳でもない。

 

 

例えば先行する凡百のアイドル作品は、圧倒的な自己肯定,自己愛と強固な連帯感を以って、世界観を高潔なものへと塗り替える変革(その事象こそ「輝き」と称される)を成し遂げるだけのパワーソースを内に秘めた偶像がアイドルと設定されることが屡々ありますが、これは端的に個人への信奉が作劇として採用されているんです。一方WUGは個人に一種冷笑的で、自由意志が低く評価され、アイドルはアイドルになる前から決まっている。どうもきな臭い宿命論に聞こえますねw つまり、予め序列化されているということ。各々の物語が開ける時に、容姿・歌唱・演技など経験的あるいは生得的な格差が横たわっていて、そこに克服の余地はなく、また持続的。そしてアイドルを提供するプロデュース側もそういった視座を明確に内面化してる。逆立ちしたところでアイドルは消費される性対象(さらにはファンとの非対称性)という側面を切断できず、突き詰めれば可愛いか可愛くないか、売れるか売れないかに還元されるものです。他面で、その捨象にこそ悪意があると指摘している。で、世界を創り変える大きな物語から梯子を外されて、伸び切った手脚も周辺事情に阻まれる。じゃあその狭い世界観に囚われたアイドルという偶像が、果たして何を達成しうるのか? っていう既存のアイドル像を制限下に設けた作品だと思うんですよ。「枕営業でリアリティ(笑)を担保プゲラ」とかそういう批判を受け止める軸足ではありませんね。リアルの中のフィクション。

 

 

「下積み時代のアイドルに衆目が集まるとすれば、それは彼女のパンツだ」

……こういう風に書くと酷い作品に聞こえてしまう。やれやれ(語弊