WIXOSSを勝ち続けると……


オリジナルTVアニメ『selector infected WIXOSS』 プロモーションムービー ...




理想と実情の狭間で露呈する確執、自己嫌悪などの心理的苦痛を強いる緊張感の高いアニメとなれば記事も書きたくなります。現状、開示されている事実関係を総合するとシバキ上げゲームになるんですが、よもや夢限少女とはマッチョマンではあるまい。(多分


るう子や一衣は実直な自己像の範囲内でWIXOSSをプレイしていて、そこに高慢な理想が伴うことはない。あくまでWIXOSSを一介のゲームツール、あるいはささやかな自己不全の解消の契機と見ている。だから一衣は超常的な強制力に頼るまでもなくWIXOSSを通じて認知した人間関係で満足し、プレイングの動機として夢限少女への憧憬は選択されない。身を窶してまで叶える望みを持たない為に簡単に失権を選んでしまって、後出しジャンケンの陥穽に陥ってしまった訳です。


セレクターバトルのエグいところは、この0か100かの二極思考でセレクターに極端な自己認知を迫る部分。ゲームに仮託する理想がどんなものであれ、負ければ現実に望ましくないと考える自己像が負に再強化される。つまりセレクターの抱えるスティグマを担保に否応無く向上心を駆り立てて、夢限少女を志向する競争原理をここに正当化させる寸法ですね。不承は許されない。一衣が獲得したるう子と遊月との友人関係に夢限少女は介入せず、彼女個人が達成した「理想」なんですが、ペナルティにおいてそれは無残に清算されてしまう。カードバトルの勝敗だけがあらゆる価値の判断基準になり、理想を叶えることは夢限少女にのみ許された「特権」に挿げ替わり、セレクター達はザンコクな世界観を内面化する。詰まるところWIXOSSに勝つことだけが正義、ルール、規範。ゲームに忠実であれば必然、皆あきらっきーになるんですよw 勝利(夢限少女。理想達成)の追求に一切の交渉思考が独占され、敗北(不可逆的な自己否定)に対する恐怖心が増長し、正と負の双極的な「自己像」が立ち現れては常にセレクターを恐嚇する。よしんば勝者となり、夢限少女の頂に到達したとしても、そこで目の当たりにする自己像に一体どんな価値があるというのか。



分割2クールらしいので長丁場ですねー。掻き撫での解釈に終わらないことを祈りますか。