君の前前前世から僕は




シンゴジが取り扱わなかった邦画文化の一面を分掌した作品、という声を見てげに恐ろしきは東宝の販売戦略か、などと邪推してみたり。新海誠の作品で複カプがポコポコ成立してるのも珍しいよね。秒5で今カノに対し「僕達の距離は1センチだって縮まってなかったよね」なんてメールやり取りする内容じゃねーだろ的なドン引きスレスレの自嘲ナルシズムを開陳していた彼は何処へ行ったのだろうかと怪訝になるくらいアウトラインは爽やか。この出会いを祝福する彗星であって欲しい、罹災後の世界をやり直したい、という稚気がフィルムの骨子で、従来言われているような童貞マインドやNTR趣味は遠景に後退していて刺身のつま状態。自己憐憫、離別の受容、倦怠と沈滞などなどの表象に支えられていた世界観を更新したと言えるんだけどこれを飛躍と呼ぶか堕落と呼ぶかはだいぶモメそう。星を追う子どもを見るに、今更セカイ系とか言及しても意味ないだろうし。


君の名は。(通常盤)

君の名は。(通常盤)



30代40代ヘテロ男性の赤裸々な欲望を謳っていたキャリアから一転して大衆的な企画を立ち上げ見事成功に至ったということは、ある特定の商業作品群から帰納した物語とそのコンテクストを共有したんでしょう。世界を祝福する力としての出会い、世界を肯定する力としての出会い。見る者聞く者を魅了するホニャララ彗星(忘れた)の輝きは、圧倒的な大質量による破壊と散華を湛えるものではなく、むしろそういったカタストロフを発生させまいとする少年少女らの不退転の決意を祝福するものであり、リアリズムへの干渉を試み、小規模な奇跡を遂行しようとする彼らに向けられた最大級の賛辞といってもいい。劇中歌もだいたいいっしょでつまりは青春のアンセム。なんだ、思い出を美しい姿のまま温存しておきたいという幼稚な夢想じゃないかと貶す声もあるかもしれないけどこの世界観だとその幼稚な夢想を阻害する因子は存在しない。既知の現実としての別れ(≒罹災)を過剰な自己愛で彩り、それを受容した先に垣間見える大人の世界を信奉していた人々を一掃するように、この作品は奇跡の遂行によって子供が大人という世界/身分を獲得して物語を紡いでいる。まぁつまり新海誠は不可逆性に即してストーリーを整序していたけど今作は真逆のことやっててこれが大人になるということなのかしらん(何


楽曲の持つイマージュを可視化したような映像美で駆動するマルティメディア的作劇は以前から相変わらず同じだけどその潮目をズラしてネット発のポップカルチャー辺りを射程に入れた商業展開よねこれ。ねらわれた学園とかここさけとかハニワとかとか。性的写実にしても乳揉みコメディリリーフとか、中学生滝くんとの身長差にドギマギ(クリティカルヒット)とか、以前なら絶対やらなかったでしょ。大昔の初恋の人を電車から一瞥しただけで絶頂するよーな監督がよくここまで脱臭したものかと感心するし、靴職人(!)→トラットリアでバイトというデチューンも私は評価するw これら隣接した諸文化との近接性の関係はあんま具体的に語られることはなかったけど、人口に膾炙する映像メディアを志向すると横断的な移動は避けられないんだなぁと。あるいは日本ファルコムの映像作家が回帰的に若者文化を強化した? 配給会社や広告代理店、在京キー局の陰謀論を唱えてもいい。もともと文学性とか批評性を持ち合わせていなかったとは思うけど、この変節に何らかのポーズを応えなきゃならないのは個人的にタルいね。心理的慰撫デートムービーにオタク大激怒という貧乏臭い構図を言い立てるのも中々つらいものがある。